殻の中は

旅というのは実際にその地に赴き、何かを見て、何かを聞き、何かに触れたりして、何かを得るものだけれど、何も得られなかったとしても、それは何かの糧になる、らしいです。

どこかで読んだリリー・フランキーのコラムで、彼は荷物というものは何処へ行くにも日帰りだろうが三泊四日だろうが手荷物ひとつ、極端な話、デパートの紙袋ひとつで良いと言った。そもそも旅行そのものがめんどくさいと言った。

俺は捨てるのが下手な人間で、何もかも捨てきれず後悔の塊の様な人間で、そんな風に在りたくはないのですが、結果的にそうなってしまいました。蝸牛の様に重い荷物を背負ってのろのろと地に足をつけ、歩くだけなのです。
そこで、殻と言う荷物を捨て、防御という行為を忘れた蛞蝓(ナメクジ)は勇敢かもしれませんが、蝸牛よりは嫌われ者で塩で萎んでしまいます。出る杭は打たれるものなのです。
しかし、やっぱり蝸牛もエスカルゴなどと言って食されるので、何事も上手く行かないものだな、と痛感した今日この頃でした。