クライマックス、喰らいますか

止まったまま動かない心を引き擦るように歩くのは凄く体力が要る。擦れて削られて乾いていく生ゴミみたいなノスタルジーは堆肥になって活躍するのを待っているんだろうか。いや、きっと死ぬまで出番は来ない。クソの役にも立たない重い重い思い出は、錯覚だ。翌日には萎んでるお祭りの水風船のヨーヨーみたいに放ったらかしてる内に軽くなっていくものだ。軽めの希望ふかして煙にして吐いてるように見せかけて、深めの溜め息を一緒に出してみた。薄ら笑いしながら吐いた煙で噎せたのを誤魔化すように呑み込んだ。涙が出た。
悲しくはないようだ。自分の事を他人の気持ちのように話すのはいつもの悪い癖だ、直そう。
リハビリのようにここまで書いて何の中身もない事に気付く。どうでもいいな。
明日は僕の誕生日だ。
誰も気付かないといい。
そのくらいがいい。