飽和するセンチメンタル

流す涙など疾うに涸らした。それでも僕は続いていくから、今、やれることを精一杯やるしかないのだ。感傷はくだらないな。いつか、感傷に娯楽性を感じることが大人になることだと言った。それが本当なら僕は未だに子供なのだろう。感傷に浸りたくて音楽を聴いたり映画を観たり本を読んだりしない。音楽や映画や本によって、その過程で感傷的な気持ちを味わわされているだけだ。泣いてしまった音楽を好きだと言ったことは、ある。でも、泣けるから好きなわけじゃない。悲しいから好きなわけじゃないんだ。だから、その理由が感動にせよ何にせよ他人が泣けると言ってたのを聞いて音楽を聴いたり映画を観たり本を読んだりする人の気持ちが、僕には解らない(好きな人が話していたそれを知りたいという好奇心を除いては)。泣こうとして泣くなんて、演技だけでたくさんだ。