弱った

Q.どうして触りたいのか
A.好きだから
Q.どうして好きなのか
A.好きだから

埒があかない。

好きに答えは出せないみたいだ。だって既に好きになってしまっているんだから。どんな理由も後付けにしか聞こえないみたいだ。

エゴの押し付け合いが恋?それを受け止めるのが愛?どうなんだ。

愛情表現を示さないから不安になられるんだろう。何言ったって不機嫌なときは不機嫌で近付いたら自分が傷つくのを知って避けて、それは逃げだ。逃げたらいけなくて、立ち向かわないといけない。どうして?自分が傷つくのを恐れないで相手を抱え込むのが優しさということ?どういうこと?
解んないままに頭を巡らせても曖昧なフレーズが浮かんで消える。消えない言葉を今文字に残してる。
優しい言葉をかけられるのを期待してる。どれもこれもエゴだ。今更気付いたってなぁ。
自分がされて嫌なことは人にするな。と言ったくせに、自分でそれを守れていないのが俺。
自分で出来ないことを人に強要するな。これも守れていない。大体、命令口調が気に喰わない。何様なんだ俺は。
時間だけはどんどん過ぎて行動に向かわない自閉の回路。突発的衝動で実行して失敗して嫌われるのと、何もしないで(正確には、出来ないで)何考えてんのよと嫌われんのでは、誤解の少ない分やって嫌われた方が自分がよく解ると思っていたけど、反省が足りないから(俺が反省するには時間がかかり過ぎるみたいだ)結局変わっていない。何がいけなくて、どうしなきゃいけないかは自分が決めること。そしてそれを意識して動く為の集中力。
あれ?でも、待てよ?好かれる為の努力って演技じゃないの?それでいいの?有りの儘を受け入れてくれなくていいの?
有りの儘じゃ嫌われるから変わらなきゃ、なんだろ。有りの儘はとても楽だけど、許してくれるからと甘えてはいけないんだろ。努力を怠るなんてのは好きだという気持ちに反してるんじゃないのか。
何なんだ。全然見えない俺の気持ちの奥底。終わらない一人会議。誰かの気持ちを借りて話している気がする。屈折している。

ただ一つ、他人から嫌われるのが嫌い。自分の中でそれだけは確か。
でも、自分の好きなところがあまり無い。だから自信がない。かといって嫌いなところも漠然としているんだ。長所短所、述べたくない。でも考える。考えてやる。どうして述べたくないのか、それは好きなところが間違えば嫌いなところになってしまうからだ。好きなところと嫌いなところが一緒だったりするからだ。だから意味を成さなくて、反省にならなくて、自分は自分が嫌いだけど、一番自分を認めて愛しているのは自分以外に居ないのだろう。自分で自分をケア出来ないのは子供でしかないのだから、大人の自覚を持たないといけない。大人。…大人か。何を以て大人と呼べるのか?年齢ではない。身体だけ大人な奴なんてごまんといる。精神か。経験か。何だ。

自分で何言ってんのか纏まりも収拾も着かなくなってきた。でもやめない。俺の大人像って何だ。俺にとっての大人とは全く以て理想像と同義じゃないんだ。理想、そう、子供だろうが理想に近い方が立派なんじゃないんだろうか。俺の中で大人は情けなくてぐうたらで嫌われ者だ。それなら、今の自分は大人だ。しかも嫌な大人だ。いい大人、理想の大人に近付かなくちゃならない。理想は憧れたり眺めたりするものじゃなくて近付く為の目標として掲げなくてはならない。
俺の理想って何だ?人が何を思ってんのかエスパーみたいに解って、それを言われる前に出来る。だって、こんな理想の人嫌いなのってあんま居ないでしょ。だからさ、好かれたいんだよ。それが理想なんだよ。でも望むだけじゃなれるわけなくて努力と行動なんだろうけど、努力だと意識した努力はその時点で格好悪く見えてしまって駄目なんだ。そんなことない筈なのに、無駄なプライドが邪魔をしている。これを取り払わなくちゃいけない。